10月からだから、4ヶ月間か、ひたすら駆け抜けてきたように思う。本番すらあっという間に終わってただ忙殺され過ぎていったそんな印象だ。まあ、作家から演出、音楽、美術、展示Pに広報までやってたら当たり前である。
私が演劇にここまでどっぷり関わるのは10年ぶりくらいになるだろうか。俳優も演出家も仕事としてやってきた私としては、こんなお金にならないものに本気になるのはただの酔狂なのだが。主宰の白尾氏とは15年ほど前に「いつか一緒に芝居をしたいね」と冗談めかした約束をしていたものだから、この機会に実現させておかねばなるまいと軽はずみに引き受けたのである。
実のところ、私自身ただの演劇にもはや興味はない。20代、30代と全身全霊でそれこそ心も体もボロボロになるまで芝居にかけてくると思い残すことなどほとんどないのだ。没個性の俳優にとっては技術が全てであり、知識と研鑽とだけが自身を守る術であった。なので今回はせっかく積み重ねた知識と技術を若者に引き渡してあげようかと、想いのバトンを渡しにだけ戻ってきたというのが近いかもしれない。
演劇は総合芸術である。総合というからにはありとあらゆる芸術を知り、その良さも悪さも認めて取り入れていかなければつまらない。私は脚本も書くし、映像も写真も撮る。昨年から一念発起して絵まで描き始めた。アートの世界は広く深い。その中で演劇はかなりのマイナーアートである。芸術性もビジネスモデルとしても非常に未成熟。失敗した演劇教育の流れから、メディアの台頭による日陰と、残念な衰退を遂げ続けて今に至る。アングラの時代の熱気も、90年代の小劇場ブームの活気も、見る影もない。復興の目処も正直見えてこない。
語弊がないように言い直すと、演劇が死んでいるのは日本の場合だけである。海外に出れば芸術性もビジネス的にも立派に確立している一ジャンルだ。
知識も教育も欠如した状態ではこのまま衰退の一途であろう。演劇人と話してみて驚愕するのがライブに行かない、ギャラリーに行かない、古典芸能を見ないという大多数。
私は海外でのトレーニングや仕事もしているから、表現者にとって完璧な技術は大前提、その先にあるのはあなたの感性という考えが根っこにある。感性を伸ばすのに幅広く芸術を感じなくて他に方法があるのなら聞いてみたい。そして、他の芸術も素敵だし、ずっと楽しいよと単純に知ってほしい。
そんな思いから絵画の世界から私の惚れ込んだ方、偶然にも縁を結んだ方達をお招きした。
強制的にではあるが、壁を取り払い、演劇 VS 絵画の異種格闘技戦のガチバトルを仕掛けたのである。
どちらに軍配が上がったのかはコメントは差し控えよう。
さて、額縁芝居としては小劇場エンタメ芝居として頑張った出来ではなかったろうか。私の目論見の「日常と非日常の壁」、「劇空間の構築と不条理」に気づけた演者は少なそうではあるが、何ステージかご覧になったお客様方にはステージごとの変化に気づいていただけたことと思う。生だからというだけではなく今回のステージに同じものは存在しない。いくつかのキャストは本番開始数分前に私が指示し、いくつかのシーンは台詞や役者が出るタイミングまでアドリブである。かと思えば役者がアドリブを入れたかのように見えるシーンは、綿密にアドリブに見えるよう稽古している。繰り返し観ていただけるお客様のためだけじゃなく再現性に対するアンチテーゼである。そして同じステージが存在しない理由の最たるものが、毎ステージごとに舞台美術が変化していくことであろう。
現代アートイベントではわりと一般的になりつつある体験型。観覧者を参加者に変えてアートの一つとする。ピーターブルックが定義する演劇の必須条件の「観客」を表現者側へ「裸の舞台」の線を越えさせ巻き込んでいこうという試みだ。流石に寺山修司のようにレタスを預かれとかパフォーマンス会場までの迷路地図を渡してたどり着け、などとまではしないが、アングラ演劇が探りながら答えを見出せなかった部分をエンタメとして軽く取り入れている。
そんな思いだから写真家としての私のベストショットはこの一枚になる。
彼女がまとってる空気は静謐で、幕が開いた後のどの瞬間よりも劇的だ。
それではまた、いつかどこかの芸術空間でお会いしましょう。
Tony Ozawa
Art director/Producer/writer/photo&videographer
北区つかこうへい劇団にてロマンス、熱海殺人事件など数本の出演をしたのち、渡米。NewYork Film Academy in L.Aにて映画技術を吸収し帰国。日本演出家協会理事 篠本健一氏に師事し、日本語表現と演劇的肉体の追求を試みる舞台に数本出演。現代詩人 和合亮一の詩的言語を舞台化するプロジェクトでは立ち上げ時から携わる。俳優としてだけではなく脚本も撮影も演出もなんでもやるフットワークの軽さで数多くの作品に携わっている。
近年では、写真家、アートディレクターとしてギャラリーや芸術祭のレビューをするため飛び回っている。
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